シン・つれづれ草

シンガポールに暮らし、感じたこと、思うこと、体験したことなどを綴ります

キナバル山 登山 3日目 (後記) - Mt. Kinabalu Climbing, Day3 (after the climbing)

コタキナバル最終日、登山後記です。昼過ぎにシンガポールに戻るフライトを予約していたの午前中コタキナバルを散策した記録。記事の最後にツアー手配について感想を残します。

昨日は疲れて早く寝たので(何せ昨日は朝2時起きだったからね)、早めに目が覚めます。ホテルは朝食抜きのプランだったので、近くにおいしいカフェとかないのかとググりつつ周辺を徘徊。(それにしても...ふくらはぎがここ数年経験したことのない激しい筋肉痛で、まともに歩けず)一応リゾート地ということらしいので何かあるんだろと思ったのだけど、何もありません。高級ホテルはビーチ沿いに集中していて、少し海から離れたこの辺は歩き回るとバックパッカー向けの宿が多数あることに気づく。学生時代に友達とヨーロッパやアメリカをバックパック背負って一つ星のホテルをその日に見つけて旅したのを思い出した。思えばこれくらい怪しい感じだったなと。今となってはこんな宿に泊まろうとは絶対思わない。もちろん金がなかったということもあるけど、それだけじゃあないわね。年取って保守的になっているのは否定できない。若いって素晴らしいねと思った。

しゃれたカフェなんて皆無だったので、結局ホテルのすぐそばにあったなんてことないファストフード的なサンドイッチとコーヒーの店で朝食。一旦ホテルに戻った後、ビーチの方に行けばショッピングモールとかがありそうだったのでTシャツでも買うかなと思い、てくてく筋肉痛の足をひきづり歩きます。

海岸まで来たけど...横須賀って感じ。。すいません...コタキナバルにも行くとこに行けばちゃんといいビーチとかはあると思うのですけど。ボートで島に渡るときれいなビーチもあってマリンアクティビティもあるとか。その後ショッピングモールに立ち寄るも特筆すべきことはなく、ホテルに戻ってきました。

さてどうする...フライトまでまだ時間はある。一応観光名所的にはモスクとかが有名なんだけど、これは昨日キナバル山からの帰りの車中で見てそれで十分だろうと。しょうがないなと思ってサバ州立博物館というのに暇つぶしで行ってみることにした。ところが、これがすごかった。

サバ州立博物館の外観。

とりあえず館内に入るとまず巨大な鯨の骨格標本があります。これが売りらしい。申し訳ないけどワシントンDCのスミソニアン博物館の恐竜の標本とか比べたら大したことないので、ふーんと通り過ぎます。その後はこのサバ州近辺の民族的な衣装だったり、昔の農機具だったりの展示が続きます。規模は少し大きいけど、僕の地元の大田区立郷土博物館といった感じ。一応一通り解説を読む。ちなみにマレーシアというとマレー半島の領土をイメージしますが、コタキナバルのあるサバ州マレー半島ではなくボルネオ島にあります。つまりインドネシアと地続き。フィリピンにも意外に近い。

もともとは違う国(というか違う統治下)だったマレー半島のマレーシアとボルネオ島サバ州その他の州が、第二次大戦後に協議の末に一つの国になったという歴史があることを展示を見つつ知る。Day 1でコメントしたように、サバ州には州の旗があり、ほぼ必ずマレーシア国旗と並んで掲げられています。サバ州はマレーシアの中でも高度な自治が認められており、独立心が旺盛で、マレーシア国内であるにもかかわらず、サバ州以外(例えばクアラルンプール)からサバ州に入るにはパスポートが必要なのだとか。

マレーシア語とインドネシア語は極めて近い言語で、方言のようなものだと言われています。九州弁と大阪弁で話しても意思疎通が成り立つようなものだと想像します。両国はイスラム教がメジャーであることも共通していますし、こうして見るとこの二つの国は紆余曲折あってたまたま違う国に分かれてしまったけど、極めて近い文化圏にあることがわかります。そしてアジアの博物館には必ずある大戦中の日本軍占領時の展示などももちろんありました。欧米人の年配の御夫婦がガイドをつけて館内見学をしており、ほぼペースが一緒だったので時折その解説を聞かせてもらいながら回ります。

さて日本語のネット上のどの記事を見ても詳しく出てこないのですが、個人的にこの博物館の最大の見どころは首狩族の展示です。当時(大戦前)、部族間の争いや、個人間の決闘などで相手の首を持ち帰ることは勇敢な男性の象徴だったようで、首を持ち帰ることが一人前の男性として結婚できる、モテる条件だったとか。持ち帰った首の頭蓋骨は家の軒下にいくつも並べて吊るされ、その勇猛さを誇示するとともに、家に幸せを運んでくると信じられていたとか。日本の戦国時代までと同じとは言えますが、この文化が20世紀になっても続いていたということ。そして驚くことに、この博物館にはこの軒下に飾られていた本物の頭蓋骨が軒下の再生と共に展示されています。イミテーションではと思ったのですが、ガイドも本物と言っていたし、後でWebサイトを見るとやはり本物だと。さすがに写真を撮る気になれず、ここに掲載できませんが、すごい展示でした。事前のネットでのリサーチで出てこないのは、エグいのでブログなどにもなかなか書きづらいのだと思う。

博物館の展示を見入っていたらあっという間にフライトに向けて空港に行くべき時間に。慌ててホテルに戻り、荷物をピックアップして帰路につき、無事に3泊4日の旅を終えました。

最後にキナバル登山のツアー手配について。今回は初めての海外登山だったとこともあって、何があるかわからないとも思い、日本の旅行会社を通じて現地発着の登山ツアーを利用しました。東南アジアx登山で検索すると、最初に出てくるのがキナバル登山であり、日本の旅行会社のツアーも多く、選択肢は多くあります。日本語のサイトだとしっかり読めば、その旅行会社がまあまあちゃんとしているだろうことは何となく想像がつくので、そこに頼めば安心ではあります。しかし、結局そうした日本の旅行会社がやっていることは、現地旅行会社との中継ぎに過ぎず、日本の会社を通すことでマージンが発生しています。それを否定している訳ではありません。日本語で手配することの手軽さ、何より前述の通り、変なところではないだろうという安心感があります。トレッキングや登山などのように危険を伴う場合、安心は大きな付加価値です。ただ、キナバル登山に関して言えば、体験してみて現地の観光コンテンツとして大変成熟していることがわかりました。多少なりとも英語ができる方であれば(そして多くの日本人は多少なりとも英語の読み書きはできると思います)、ネットで現地の旅行会社をいくつか吟味し、手配することでおそらく問題はなく、安く手配が可能だと思います。